もっと美しいものを!
もっと光を!
と言っていたという誰かのことをふいに思い出す。
なんか最近これに似たような渇望が私の中にあって、それは
もっと美しいものを!
なのである。
なんていうか、昨今美しくないもので世界は溢れ返っているなぁと思うことがしばしばある。
それはふと目に入ってくるニュースとか広告とかもそうだし、ふと目に飛び込んできたり耳に入ってくる言葉だったり、音だったりする。
最近気に入らないのが、SNSとか見てて目に飛び込んでくる広告。
インスタもメッセンジャーも広告がないのが好きだったのに広告で溢れ返っている。
特に!なんかよくわからない漫画?の広告には業を煮やしている。
一瞬だけど目に入ってくるその漫画の一コマ?一ページは大体暴力的だったり誰かが苦しんでたり、この社会の闇を描いているものが多いように思う。
げんなりする。
私はこういう暴力的なものとか下品なものを見るとリアルに具合が悪くなる。
まともにくらってしまうのだ。
こんな作品(とも呼びたくない)がこの世に溢れてるから暴力的なことや下品なことが溢れてしまうのだと思う。
たぶん殺人事件がなくならないのはミステリーとかサスペンスな本や映像が溢れてるからだと思う。
正直こんなの見て何が面白いのかと思ってしまう。
たぶんピースフルでラブリーな本や映像ばかりが溢れるようになると怖い事件は起きなくなるのじゃなかろうかと前々から私は思っている。
つまるところ、美しいものが圧倒的に足りない‼︎と思えて仕方がないのだ。
美しいものっていうのは何も芸術品とかキラキラした何かとか物質的なものに限らず、助け合いとか思いやりとか精神的なものも含む。
美しいものが足りないと人は殺伐とする。
人が殺伐とすれば社会も世界も殺伐としていく。
そう、世界は私たちが、あるいは私たちの意識が作っているからだ。
だから美しいものを求めなければならない。
美しいものを生みだし、美しいものを人にシェアする。
なんかそんなことがしたいなあと思う。
世界中どこへでも美しいものを求めて行く。
そしてそこで何らかの美しさを体感して、それを言葉なり写真なりで世界中にシェアするのだ。
日常の中に美しいものを見たり聞いたり触れるチャンスを持つこと。
これがとても大切なのではないかと思う。
だから私はもっと美しいものを!と追い求めたい。
例えばそれは人かもしれないし、自然かもしれない、食べ物、風景、ものなのかもしれない。
いろんな美しいものを私は見て見たいと思う。