☆.*My美学のすすめ☆.:*・★美意識を持ち世界を味わう:*・☆.。:*☆

感性こそ自分の最高のセンサーであり、最強の武器。その感性を磨くこと、曇らせないこと、大切に育むこと。感度を上げられるような?言葉を徒然なるままに…

夢も目標もはないけど見たい世界ならある!

おいてけぼりになる人がいない世界を見たいなと私は思うのです。

 

これはわりと昔から私の中にある思いなのですが、具体的に何するの?と言われるとうーん?な状態が続いています。

しかし最近うっすら見えてきたものがあり、やってみようかなぁ、どうしようかなぁ、怖いなぁ、失敗したら…いややっぱり!とかいややっぱり…とかグツグツ考え込みすぎてまさにチキンなスープが出来上がりそうです。

 

グツグツするのにもなんだか嫌気がさしてきてしまったので、よし!失敗してもいいからとにかく動いてみよう!と思っています。

そしてここに書くことで、(誰にも見られてないかもしれないけど)公開してみんなに見られてるんだからやらねば!とチキンなりの勇気を振り絞ろうとしているのかもしれません。

 

具体的なことはまた別途記載をと思うのですが、なんで【おいてけぼりのいない世界】が見たいのかと言えば、それはもちろん私が過去に【おいてけぼり】だった(と思っている)ことがあるからに他ありません。

 

なんというのか、私は物心ついた頃にはすでに孤独だったように思います。

家族もいて友達もいたはずだけど、私はいつもひとりぼっちでいるような気持ちでいっぱいでした。

 

それは後々になって考えてみると、HSPだったり発達障害の特性などにより、当時は知る由もなかったのですが、もういっぱいいっぱいであり私は心身共に声にならない悲鳴をあげていたようです。

 

もちろん自己肯定など出来るはずもなく、自尊心も芽生えることはなく、従って人に甘えたり頼ることは出来ず、いつも人の顔色を伺い、その場で何を言うのが正解なのかと考えてみたり、本音はぐっと飲み込んでという始末。

 

そりゃーどこかでガタがくるというものです。

 

私はまず学校に行かなくなりました。

いじめられてたとかいう訳じゃなく、もうとにかく行きたくない。

行く理由はひとつも見当たりませんでした。

小5から中3まで学校に行った日を数えた方が簡単に集計出来ると思います。

 

行かなくなってほっと安心するのと共に、親や先生や友達からはなんで来ないの?とか待ってるよ!とか反応が出ます。

私には学校には行かねばならない!とか行けない私は情け無い、ダメな存在なのだと日々言われまくっているような感じで罪悪感にまみれていました。

 

その後単身上京し、バレリーナを目指して右半身が動かなくなって挫折したり、慣れない事務職に心が砂漠化したり、ブラックな働き方で最終的に腹膜炎を起こし、2週間苦しみながら、孤独死するのでは⁉︎腐敗してその匂いでようやく気づいてもらえて、でも腐った私を見られれのは嫌だ‼︎などとまるで腐ったドブの中にいるかのような気持ちでした。

 

兎にも角にも、私はずっと自分はおいてけぼりになっている感がものすごーくあった訳です。

 

おいてけぼりになってるって、激烈に不安です。

まるで太平洋のど真ん中を手づくりのイカダに乗って浮かんでるみたいな。

まわりは真っ暗、いつサメに襲われるとも限らないという恐怖。

 

そう、寄る辺がないとは(そう感じられることは)非常に恐ろしく不安なことなのです。

 

不安の原因は人それぞれにあると思いますが、根本的な原因はつまるところ自分を信じられなかったり、好きになれないことなのだと思います。

 

おいてけぼりになってると感じでいる日々は世界は厳しく冷たいものでしたが、自分を好きになれると世界は一変します。

世界は優しく甘い美しいものになるのです。

 

これは何もスピリチュアルなお話しではなく、自分の見方や受け取り方が変わるということです。

小さなことでも美しさを感じられるようになります。

これはコロンブスもびっくりの大発見であり、自分に自信が持てるとか好きになれる、その瞬間を味わうことは極上の感動をもたらしてくれます。

 

さて、この世界にはおいてけぼりになっている人が実はたくさんいるのだと思います。

傍目には幸せそうでも実は…とか、

そして例えば障害者とかLGBTだとかある意味勝手に弱者だマイノリティだと決めつけられ、おいてけぼりを喰らわされている人たちもいます。

 

勝手にかわいそうとか、これが出来ないとかあれこれラベルを貼られたり人よりなぜか下に見られてしまうという訳です。

 

私はこれも昔から非常に違和感がありました。

だって接してみるとみんな普通の人たちだから。

もちろん配慮しなければならないところや苦手なことも彼らにはありますが、いわゆる健常者も人に助けてもらうことはままあることだと思うのです。

 

さあ、そこで私のいう【おいてけぼりのいない世界】ですが、これは【1人1人が対等な個人として在れる世界】という意味です。

 

助けが必要な人にはその人が障害を持っていても持ってなくても手を差し伸べるとか、自分と違う価値観を持っていたとしてそれを100パーセント理解は出来ずとも、そうなんだねと受け止めてみるとか…1人1人にそんな余裕があると良いなと思う訳です。

 

それは美意識を持つことと言っても良いでしょう。

 

そのためには人の意識を変えなければならないのだと思います。

変えるというより、溶け合うようなまぜこぜになるようなそんなイメージです。

 

鍵は美しいものを扱うことだと私の勘は告げています。(たぶん)

 

人々の意識が白黒くっきりわかれているのではなく、まぜこぜになって溶け合ったとき、私は私の見たい世界が見れるんじゃないかとそんな風に感じています。

 

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